脳の機能障害



 1)はじめに 


   脳が損傷を受けると、さまざまな機能障害が起こります。
   障害の範囲は、昏睡のような完全な意識消失からせん妄のような見当識障害と注意力の
   欠如、さらには意識的な行動を行うための種々の機能的欠陥まで多岐にわたります。
   脳の機能障害の種類と重症度は、
脳が受けた損傷の範囲、部位、原因となった病気の進
   行速度
によって決まります。
   脳の機能障害は
広範囲(びまん性)のことも、特定の領域に限定して(限局性)起こることも
   あります。

   びまん性の機能障害は、
脳の広い範囲を侵す病気によって起こります。
   この原因となる病気には、低血糖や血中酸素量の減少(通常は肺や心臓の病気による)な
   どの代謝異常を起こす病気、髄膜炎や脳炎などの感染症、重度の高血圧や低血圧などが
   あります。
   びまん性の脳機能障害は、脳の広い領域が腫れたり圧迫されたりする病気によっても起こ
   ります。
   たとえば脳腫瘍(のうしゅよう)脳膿瘍(のうのうよう)、重症の頭部外傷などです。
   ある種の薬、たとえば麻薬や鎮静薬、抗うつ薬などでは、高齢者など使用する人にとって、
   薬の作用が強すぎたり血液中の濃度が高すぎたりすると、びまん性の脳機能障害が起こり
   ます。

   限局性の脳機能障害は、
脳の特定領域だけを侵す病気で起こります。
   これには脳腫瘍などによる構造異常、特定領域への血流を減少させる脳卒中などの病気
   などがあります。

                    

<脳の特定の領域が傷ついた場合>

脳の各領域は、それぞれ独自の機能をコントロールしています。
そのため、損傷を受けた脳の領域によって失われる機能が決まっています。



     
   脳機能障害の重症度は、脳が損傷を受けた範囲と部位
によって決まります。
   大脳皮質(だいのうひしつ)などの比較的広い場所では、受けたダメージの広がりに応じた機能障害が起こ
   ります。
   つまり障害の範囲が広くなるほど、それだけ機能障害も重症になる可能性があります。
   ところが、体の重要な機能と意識レベルを調整している脳幹(のうかん)などの狭い領域では、比較的
   小さなダメージであっても、完全に意識が失われて死につながる危険すらあります。
   また、速く進行する病気ほど、脳の機能障害の症状も顕著に現れる傾向があります。
   たとえば急激に大きくなる脳腫瘍の方が、ゆっくりと大きくなる脳腫瘍よりも機能障害が重く
   なります。
   急激な変化よりもゆるやかな変化の方が、脳の機能補正が容易だからです。

   受けたダメージに対する脳の代償作用と回復力は、
脳がもっている次の3つの特性による
   ものです。
      
①重複性(脳の機能の多くが、2つ以上の領域でコントロールされている)
      
②適応性(一部重複した機能をもつ領域が、失われた機能を代償する)
      
可塑性(かそせい)(ある種の領域は、別の機能に変更できる)

   このように、
無傷な領域がダメージを受けた領域の機能を引き継いで、脳を回復へと導き
   ます

   しかし年をとるにしたがって、ある領域の機能を別の領域が引き継ぐ能力が衰えてきます。
   また、
視力などのいくつかの機能は脳の他の部位が代行することができません
   これらの機能の領域が直接ダメージを受けると、その障害はいつまでも残ります。


                   


 2)部位別の機能障害 

   脳のさまざまな領域は特有の機能をコントロールしているため、障害を受けた部位によっ
   て、どのような機能障害が起こるかが決まります

   大脳を構成する2つの部分(大脳半球)の機能は同一でないため、脳の左右どちら側が障
   害されたかということも重要な要素になります。
   脳の機能の中には、片方の大脳半球だけにコントロールされているものがあります。
   体の動作と感覚は左右反対側の大脳半球にコントロールされており、言語は主に左の大
   脳半球によって調節されるなど、
片方の大脳半球が優位にコントロールしている機能もあ
   ります。
   このため、左右どちらかの大脳半球が損傷を受けると、これらの機能が完全に失われる
   危険性があります。
   逆に、記憶などのように左右両方の大脳半球によってコントロールされている機能は、大
   脳半球が両方とも損傷を受けない限り、完全に失われることはありません。
   機能障害の特有パターンは、
ダメージを受けた脳の領域に関連しています。

   前頭葉(ぜんとうよう)の損傷 
     一般に前頭葉へのダメージは、
問題を解く、計画を立てて行動するなどの能力を失う
     原因
になります。
     たとえば道路を横断する、複雑な質問に答えるなどができなくなります。
     随意運動を調節している前頭葉の後部が損傷すると、
脱力麻痺が起こります。
     左右の脳は反対側の体の動きをコントロールしているため、左の大脳半球が障害され
     ると体の右側に、右の大脳半球が障害されると体の左側に脱力が起きます。
     前頭葉の中央部分がダメージを受けると、
眼球を動かす、複雑な動作を正しい順序で
     行う、言葉を話すなどの機能が障害(表現性失語)
されます。
     前頭葉の前部が損傷すると、
集中力がなくなり流暢に話せなくなる、質問に対し無関
     心・無頓着になり反応が遅くなる、
あるいは社会的に不適切な振る舞いを含む自制心
     を欠いた行動を取る
などが起こります。
     自制心が働かなくなると異常に陽気になったり、落ちこんだり、極端に論争的になった
     り、消極的になったり、あるいは下品になったりします。
     自分の行動がもたらす結果に関心がないように見え、何度も同じことを話したりします。

   頭頂葉(とうちょうよう)の損傷 
     片側の頭頂葉前部が損傷すると、
反対側の体にしびれと感覚障害が起こります。
     患者は感覚の位置と種類(痛み、熱さ、振動など)を識別するのが困難になります。
     頭頂葉後部への損傷は、
左右の方向がわからなくなったり、計算や絵を描くことがで
     きなくなったり
します。
     右頭頂葉へのダメージは、
髪の毛をブラシでとく、服を着るなどの簡単な動作ができ
     なくなる失行症
の原因になります。
     頭頂葉に突然ダメージを受けた人は、その障害の深刻さを無視して、体の反対側の

     がの存在に気づかなかったり、否定することさえあります。
     さらに
錯乱せん妄が起きたり、自分で服を着るなどの日常動作ができなくなります。
                 
   側頭葉(そくとうよう)の損傷 
     右の側頭葉へのダメージは、
音や形の記憶を障害する傾向があります。
     左の側頭葉が損傷を受けた場合は、
言葉の記憶や言語の理解能力が著しく低下

     ます(
受容性失語
)。
     側頭葉の一部が損傷すると、人格が変わってしまって堅物になったり、狂信的になっ
     たり、性欲がなくなったりすることがあります。
                 
   後頭葉(こうとうよう)の損傷 
     後頭葉には、重要な視覚情報を処理する中心があります。
     後頭葉の両側が損傷すると、
眼球自体は正常に機能しているのに眼が見えないとい
     う
皮質盲(ひしつもう)が起こります。
     皮質盲の人の中には、自分の眼が見えないことに気づかない人もいます。
     後頭葉の前部が損傷すると、
見慣れているものや人の顔を認識できなかったり、見え
     たものを正確に判断できなくなったり
します。

                 


 3)特殊な機能障害 

   脳のさまざまな機能は脳の1つの領域だけではなく、複数の領域に共同でコントロールされ
   ています(ネットワーク化)。
   このネットワークが破壊されると、
失語症、失行症、失認症、健忘症が起こります。


   
失語症(しつごしょう) 
     失語症は、脳の言語領域の損傷によって、話し言葉や書き言葉を表現したり理解したり
     する能力が部分的に、または完全に失われる障害
です。
     ほとんどの人は、左側頭葉の一部であるウェルニッケ野と、前頭葉の一部であるブ
     ローカ野
が言語機能をコントロールしています。
     脳卒中、腫瘍、頭部外傷、感染症などにより、この小さな領域のどこかに損傷を受ける
     と言語機能の少なくとも一部が阻害されます。
     失語症は言語の表現や理解能力を失う障害ですが、症状の現れ方はさまざまで部分
     的なことも完全に失われることもあります。
     症状のばらつきは、言語機能の本質が複雑なことを反映しています。
     失語症の中には、
書かれた言葉の意味が理解できない障害(失読症)や、物の名前が
     思い出せなかったり、名前を言うことができない障害(名称失語症)
も含まれます。
     名称失語症の人たちの中には、正しい言葉をまったく思い出せない人もいれば、名前
     はわかっているのにすっと口から出てこないという人もいます。
     
伝導性失語症の人は、話される言葉も書かれた文字も理解して流暢に話すことができ
     るのに、単語、フレーズ、文章を繰り返すことができません。
     ウェルニッケ野が損傷すると起こる
ウェルニッケ失語症では、流ちょうに喋っているよう
     で、意味不明で支離滅裂な言葉の羅列になります(「言葉のサラダ」と呼ばれることが
     あります)。
     ブローカ野の損傷による
ブローカ失語症(表現性失語)では、言葉の意味は大部分が
     理解できて、どんな反応を期待されているのかも知っていますが、それをうまく言葉に
     することができません。
     非常な努力をしながら、言葉をゆっくりと押し出すように話し、ときどき悪態をついて話
     が中断します。
     通常は文字を書く能力にも、話す能力と同様の障害が現れます。
     左脳の側頭葉と前頭葉にダメージを受けると
ほとんど完全に話せなくなる全失語
     起こります。
     ただし、感情の調節を主に行っている右脳がダメージを受けていないため、苛立ちなど
     の短い単語を発することはできます。
     回復期には
言葉が話せない(不全失語)文字が書けない(書字障害)言語が理解
     できない(受容性失語)
などの障害が起こります。
     脳卒中や頭部外傷などによる脳の損傷後に失語症が起きた人には、
言語療法が役
     立ちます。
     言語療法に参加できるようになったら、できるだけ早く治療が開始されます。


   
構音障害(こうおんしょうがい)
     構音障害とは、言葉を正しく明瞭に発音できない障害です。
     構音障害は言語障害のようにみえますが、実は
筋肉の問題です。
     脳幹あるいは、脳幹と大脳皮質をつなぐ神経線維が損傷したために起こります。
     脳のこれらの領域は音を出すときに使われる筋肉や、言葉を話すために必要な唇、舌、
     口蓋、声帯の動きを調整する筋肉をコントロールしています。
     構音障害の人は、自分が言いたい言葉に近い音を正しい語順で発声します。
     損傷された脳の部位によって、話し方がぎこちない、ブツブツ途切れる、息の音が混じ
     る、不規則になる、不明瞭になる、単調になるなどの特徴が現れます。
     通常は言語を理解して使う能力は侵されていないため、構音障害の人のほとんどは
     正常に読み書きできます。

     言語療法は、構音障害の人にも効果的です。


   
失行症(しっこうしょう)
     失行症とは、パターンや順序の記憶が必要とされる動作ができなくなる障害です。
     失行症はまれな障害で、頭頂葉または前頭葉の損傷によって起こります。
     失行症の人は、単純でも動作の順序を記憶することが必要な作業や、複雑な作業が
     できません。
     たとえば、ボタンを留める行為は一連の順序に従う動作からなっており、手には作業を
     行う能力があるのにできなくなります。
     言語失行症の人は、話すときに必要な筋肉の動作を開始して順序よく協調させられな
     いために、言葉の基本的な音のまとまりをつくることができません。
     失行症の中には、
ある特定の作業だけが行えなくなるタイプがあります。
     たとえば、絵を描く、メモを取る、上着のボタンを留める、靴ひもを結ぶ、電話の受話器
     を取る、楽器を演奏するなど、どれか1つの能力を失います。

     作業療法は、失行症で失われた機能を補う能力の習得に役立ちます。


   失認症(しつにんしょう)       
     失認症とは、物の役割や用途を結びつける能力を失うことで、比較的まれな障害です。
     見慣れたもの、風景、音に関する記憶が保存されている脳の頭頂葉、側頭葉、または
     後頭葉
の機能が障害されて起こります。
     失認症は頭部外傷や脳卒中の後に、しばしば突然に起こります。
     頭頂葉がダメージを受けると、反対側の手の中に、鍵や安全ピンなど見慣れたものを
     置いても識別が困難になります。
     ところが、実際にそれらを見れば、即座に区別して名前を言うことができます。
     後頭葉が損傷すると、
視覚失認症が起こります。
     親しい人の顔やスプーンや鉛筆などのありふれたものを、たとえ直接見ていても、それ
     らを見分けることができません。
     側頭葉がダメージを受けると、
聴覚失認症が起こります。
     この障害の人は、たとえ音が聞こえても、何の音なのか認識できません。
     失認症は自然に改善したり治ることもありますが、基本的に治療法はありません。


   
健忘症(けんぼうしょう)       
     健忘症とは、数秒前に体験した出来事(即時記憶)、数秒前から数日前までの出来事
     (中間記憶)、さらにもっと以前の出来事(遠隔または長期記憶)を
部分的に、または完
     全に思い出せなくなる障害
です。
     健忘症の原因は、部分的にしか解明されていません。
     脳へのダメージは、
直前の出来事の記憶の消失(逆行健忘)、あるいはダメージを受
     けた直後の記憶の消失(外傷後健忘)
を起こします。
     損傷の重症度によりますが、ほとんどの健忘症は数分から数時間で、特に治療をしな
     くても自然に症状が消えます。
     しかし、脳の損傷が重いときは、健忘症は恒久的になります。
     情報を保存したり、逆に記憶の中から呼び出す脳の仕組みは、主に側頭葉前頭葉
     にあります。
     大脳辺縁系で起こる感情は、記憶の保存と検索に影響を与えます。
     また、大脳辺縁系は、注意力と自覚をコントロールしている領域とも密接に連絡し合っ
     ています。
     このように記憶には脳の多くの機能がかかわっているため、事実上どんな種類の脳の
     損傷でも記憶を失うことがあります。
     一過性全健忘とは、
突然新しい記憶を保存する能力が一時的に失われる障害で、時
     間や場所を忘れて混乱し、ときには他人の顔が見分けられなくなったりします。
     このタイプの健忘症は、アテローム動脈硬化患者で側頭葉に血液を送る動脈が一時
     的に遮断されると起こり、特に高齢者で起こりやすくなります。
     若者では、片頭痛で脳への血流が一時的に減少して、一過性全健忘が起こることがあ
     ります。
     一過性全健忘は、ほとんどの人は一生に1度程度しか起こりませんが、再発を繰り返
     す人も約10%います。
     症状は約30分から12時間続き、方向感覚が完全に失われたり、過去数年間に起こっ
     た出来事がまったく思い出せなくなったりします。
     症状が治まると混乱はすぐに収まり、すべて回復するのが常です。


                   


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